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最高裁判所第二小法廷 昭和48年(オ)517号 判決 1975年10月24日

上告人

三浦一峰

右訴訟代理人弁護士

萩沢清彦

外一名

被上告人

右代表者法務大臣

稲葉修

右指定代理人

貞家克己

外一名

主文

原判決を破棄する。

本件を東京高等裁判所に差し戻す。

理由

上告代理人萩沢清彦、同内藤義憲の上告理由第一点及び第三点について

一訴訟上の因果関係の立証は、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性を証明することであり、その判定は、通常人が疑を差し挾まない程度に真実性の確信を持ちうるものであることを必要とし、かつ、それで足りるものである。

二これを本件についてみるに、原審の適法に確定した事実は次のとおりである。

1  上告人(当時三才)は、化膿性髄膜炎のため昭和三〇年九月六日被上告人の経営する東京大学医学部附属病人小児科へ入院し、医師時田源一、同福田保俊の治療を受け、次第に重篤状態を脱し、一貫して軽快しつつあつたが、同月一七日午後零時三〇分から一時頃までの間に福田医師によりルンバール(腰椎穿刺による髄液採取とペニシリンの髄腔内注入、以下「本件ルンバール」という。)の施術を受けたところ、その一五分ないし二〇分後突然に嘔吐、けいれんの発作等(以下「本件発作」という。)を起し、右半身けいれん性不全麻痺、性格障害、知能障害及び運動障害等を残した欠損治癒の状態で同年一一月二日退院し、現在も後遺症として知能障害、運動障害等がある。

2  本件ルンバール直前における上告人の髄膜炎の症状は前記のごとく一貫して軽快しつつあつたが、右施術直後、福田医師は、試験管に採取した髄液を透して見て「ちつともにごりがない。すつかりよくなりましたね。」と述べ、また、病状検査のため本件発作後の同年九月一九日に実施されたルンバールによる髄液所見でも、髄液中の細胞数が本件ルンバール施術前より減少して病状の好転を示していた。

3  一般に、ルンバールはその施術後患者が嘔吐することがあるので、食事の前後を避けて行うのが通例であるのに、本件ルンバールは、上告人の昼食後二〇分以内の時刻に実施されたが、これは、当日担当の福田医師が医学会の出席に間に合わせるため、あえてその時刻になされたものである。そして、右施術は、嫌がつて泣き叫ぶ上告人に看護婦が馬乗りとなるなどしてその体を固定したうえ、福田医師によつて実施されたが、一度で穿刺に成功せず、何度もやりなおし、終了まで約三〇分間を要した。

4  もともと脆弱な血管の持主で入院当初より出血性傾向が認められた上告人に対し右情況のもとで本件ルンバールを実施したことにより脳出血を惹起した可能性がある。

5  本件発作が突然のけいれんを伴う意識混濁ではじまり、右半身に強いけいれんと不全麻痺を生じたことに対する臨床医的所見と、全般的な律動不全と左前頭及び左側頭部の限局性異常波(棘波)の脳波所見とを総合して観察すると、脳の異常部位が脳実質の左部にあると判断される。

6  上告人の本件発作後少なくとも退院まで、主治医の時田医師は、その原因を脳出血によるものと判断し治療を行つてきた。

7  化膿性髄膜炎の再燃する蓋然性は通常低いものとされており、当時他にこれが再燃するような特別の事情も認められなかつた。

三原判決は、以上の事実を確定しながら、なお、本件訴訟にあらわれた証拠によつては、本件発作とその後の病変の原因が脳出血によるか、又は化膿性髄膜炎もしくはこれに随伴する脳実質の病変の再燃のいずれによるかは判定し難いとし、また、本件発作とその後の病変の原因が本件ルンバールの実施にあることを断定し難いとして上告人の請求を棄却した。

四しかしながら、(1)原判決挙示の乙第一号証(時田医師執筆のカルテ)、甲第一、第二号証の各一、二(福田医師作成の病歴概要を記載した書翰)及び原審証人時田源一の第二回証言は、上告人の本件発作後少なくとも退院まで、本件発作とその後の病変が脳出血によるものとして治療が行われたとする前記の原審認定事実に符合するものであり、また、鑑定人国分義行は、本件発作が突然のけいれんを伴う意識混濁で始り、後に失語症、右半身不全麻痺等をきたした臨床症状によると、右発作の原因として脳出血が一番可能性があるとしていること、(2)脳波研究の専門家である鑑定人長谷川和夫は、結論において断定することを避けながらも、甲第三号証(上告人の脳波記録)につき「これらの脳波所見は脳機能不全と、左側前頭及び側頭を中心とする何らかの病変を想定しめるものである。即ち鑑定対象である脳波所見によれば、病巣部乃至は異常部位は、脳実質の左部にあると判断される。」としていること、(3)前記の原審確定の事実、殊に、本件発作は、上告人の病状が一貫して軽快しつつある段階において、本件ルンバール実施後一五分ないし二〇分を経て突然に発生したものであり、他方、化膿性髄膜炎の再燃する蓋然性は通常低いものとされており、当時これが再燃するような特別の事情も認められなかつたこと、以上の事実関係を、因果関係に関する前記一に説示した見地にたつて総合検討すると、他に特段の事情が認められないかぎり、経験則上本件発作とその後の病変の原因は脳出血であり、これが本件ルンバールに因つて発生したものというべく、結局、上告人の本件発作及びその後の病変と本件ルンバールとの間に因果関係を肯定するのが相当である。

原判決の挙示する証人福山幸夫、同糸賀宜三の各証言、鑑定人国分義行、同市橋保雄、同長谷川和夫及び同糸賀宜三の各鑑定結果もこれを仔細に検討すると、右結論の妨げとなるものではない。

五したがつて、原判示の理由のみで本件発作とその後の病変が本件ルンバールに因るものとは断定し難いとして、上告人の本件請求を棄却すべきものとした原判決は、因果関係に関する法則の解釈適用を誤り、経験則違背、理由不備の違法をおかしたものというべく、その違法は結論に影響することが明らかであるから、論旨はこの点で理由があり、原判決は、その余の上告理由についてふれるまでもなく破棄を免れない。そして、担当医師らの過失の有無等につきなお審理する必要があるから、本件を原審に差し戻すこととする。

よつて、民訴法四〇七条に従い、裁判官大塚喜一郎の補足意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

裁判官大塚喜一郎の補足意見は、次のとおりである。

多数意見は「原判決の挙示する証人福山幸夫、同糸賀宜三の各証言、鑑定人国分義行、同市橋保雄、同長谷川和夫及び同糸賀宜三の各鑑定結果もこれを仔細に検討すると、いずれも右結論の妨げとなるものではない。」としているが、この点に関する検討結果を要約すると、次のとおりである。

(1) 鑑定人国分義行の鑑定書によれば、本件発作の原因として脳出血が一番考えられるとし、その根拠として、発症が突然のけいれんを伴う意識混濁で始り、後に失語症、右半身不全麻痺等をきたした臨床症状によるとし、むしろ、本件発作及びその後の病変と脳出血との因果関係を肯定している。

(2) 鑑定人市橋保雄の鑑定書によれば、本件発作は、広義の化膿性髄膜炎の再燃によるとも考えることができるとしながらも、他方で、「脳出血によるとの考え方も、本患児は病初より皮下出血が見られ、出血性傾向があつたと思われること、発作が突然おこつたものであること等からも、一応その可能性は考えられる。」とし、ついで、現在の後遺症につき、「広義の化膿性髄膜炎によるものと考えうるし又脳出血の後遺症とも考えられる。若し脳出血があつたとすればそれは感染症の経過中に多くみられる脳白質全般の小出血、小血栓等に基づくものであろう」とし、「本件の場合、この出血性脳症そのものとも考えられるし、又経過中に紫斑の認められた所から出血性素因があつたと思われるから丁度ルムバールを行つた時、これによつて出血性傾向を増す何らかの要因が加わつたかも知れない。」とし、結論的には想定しうる原因のいずれであるかを断定していないが、少なくとも本件発作と脳出血との因果関係の可能性を肯定している。

(3) 鑑定人長谷川和夫の鑑定書によれば、甲第三号証(上告人の脳波記録)につき、「これらの脳波所見は脳機能不全と、左側前頭及び側頭を中心とする何らかの病変を想定せしめるものである。即ち鑑定対象である脳波所見によれば、病巣部乃至は異常部位は、脳実質の左部にあると判断される。」としながらも、「これらの事項を参考にして脳波所見を改めて解読すると臨床病状である右片麻痺と局在性痙れんをうらづけるものは上記の左側の限局性棘波であり、また第一回の脳波記録前に髄膜炎の経過をもつていると考えられるので、二回目以降の脳波所見は、髄膜炎後遺症による脳波像と考えられる。尚この脳波所見からは、合併症として脳出血の有無は判断出来ない。」とし、脳波研究専門家である同鑑定人は、脳波所見の限界として、病巣部ないし異常部位が脳実質の左部にあることのみでは疾患の原因が何であるかを診断することは、特殊の場合を除いて困難であり、さらに、被検者の臨床像やレントゲン所見、脊髄液所見等の他の臨床検査所見を参考にして総合的に考察しなければならないとしている。したがつて、前記の「合併症として脳出血の有無は判断出来ない。」という所見は、右の総合的考察を必要とする結論を導き出すための思考過程の所見であつて、それ以上の意味をもつものではない。

(4) 右長谷川鑑定書の結論に照らして、臨床医師の所見を検討すると、証人時田源一の第一審における第二回証言によれば、錐体外路症状、知能障害、性格障害など広範囲の後遺症が残つたから、単に脳実質左側部の脳出血とは考えられなくなり、化膿性髄膜炎の後遺症と考えるようになつたとし、また、証人高津忠夫の証言によれば、脳波所見により全誘導的棘波の場合、症状が脳全体に広がり、後遺症も全般的なものとなるので、これは髄膜脳炎とみられるし、脳出血の場合は限局的異常波であるとし、鑑定人糸賀宜三の鑑定書第四項にも同旨の記述がある。しかしながら、右各証拠は、多数意見四説示の乙一号証(時田医師執筆のカルテ)、甲第一、第二号証の各一、二(福田医師作成の病歴概要を記載した書翰)、原審証人時田源一の第二回証言、鑑定人国分義行、同長谷川和夫の各所見と対比すると、本件発作とその後の病因が脳出血であることを否定する資料とすることはできない。

(5) 鑑定人糸賀宜三の鑑定書によれば、本件発作の原因として、脳炎を伴う化膿性髄膜炎の再燃に基づくものと理解するのが可能性の高い判断と思われるとしており、同人の証言によると、右鑑定は甲第三号証の脳波所見に有力な根拠を求めていることが窺われる。しかし、同人は脳波の専門家ではないから、同鑑定書中の脳波所見よりは専門家である長谷川鑑定書の前記所見を信用すべきである。

(6) 証人福山幸夫は、小児の脳波を取扱う医師であるが、脳波記録のみからけいれんの原因を判断することは、非常に困難であると述べながらも、甲第三号証の所見については、癲癇性けいれんであり、化膿性髄膜炎の後遺症であると述べているが、右証言は十分な根拠を示していないから説得力に乏しく、措信し難い。

(大塚喜一郎 岡原昌男 吉田豊)

(小川信雄は退官につき署名押印することができない)

上告代理人萩沢清彦、同内藤義憲の上告理由

第一点 原判決は、上告人三浦一峰について昭和三〇年九月一七日に生じた病変の原因が脳出血によるものであるとは認め得ないと判示したが、右判断は採証の法則を誤り、経験則に反し、ひいて不備の違法がある(民事訴訟法三九五条一項六号)。

一、本件第一審判決は、上告人の本件発作による病変の原因につき、上告人が昭和三〇年九月六日被上告人東大病院に入院して化膿性髄膜炎の診断を受け、治療によつて快方に向い、昭和三〇年九月一七日東大病院担当医師福田保俊の手によつて、腰椎穿刺の施術を受けた直後に発作を生じて病状が激変し、精神および知能に障害をきたし、同年一一月二日退院後、現在に至るも障害が残つていることについて、詳細にその経過を認定した上で、「第一に本件発作は、原告の病状が入院当初の重篤な化膿性髄膜炎の病状から漸次快方に向い一般状態も軽快していた段階で突然起つたものであること、第二に本件発作後の九月一九日に行なわれた髄液検査の結果が、発作前よりむしろ良い結果を示したこと、第三に原告には入院当初より出血性傾向があり、本件発作当時も血管が脆弱でなお出血性傾向が認められたこと、第四に本件発作が突然のけいれんを伴う意識混濁で始まつたこと、第五に本件発作の際けいれんが特に右半身に強く現われ、その後右半身不全麻痺が起つたこと、脳波所見によつても脳の異常部位が脳実質の左部にあると判断されること(脳実質左部に病巣がある場合、右半身に異常があらわれる)、第六に本件発作後少なくとも退院まで主治医の時田医師は、原因を脳出血によるものと判断して治療を行なつていたことなどから総合的に判断すれば、本件発作とその後の原告(上告人)の病変の原因は脳出血によるものと認めるのが相当である。」と判示した(第一審原判決三八丁表及び裏)。

しかるに、原判決は第一審判決認定の事実の経過およば右第一点乃至第六点の判断をすべて引用した上で、

「……治療を行なつていたこが明らかであるうえ、原審における鑑定人国分義行の鑑定の結果も脳出血の可能性を認めており、これらはいずれも本件発作とその後の控訴人(上告人)の病変の原因が脳出血であることを肯定するについての有力な資料となりうるものではあるが。」としながら、その後につづいて突如として、「一方、理由第二において認定されているように、本件発作当時、控訴人はいまだケルニツヒ症候が陽性であり、熱も平熱とはいえず、髄液の所見も正常域には達しておらず、絶対安静が指示されていたこと、退院後も後遺症として知能障害、性格障害があること、原審証人福山幸夫の証言、原審における鑑定人系賀宣三、同長谷川和夫、同市橋保雄の各鑑定の結果は、いずれも本件発作と病変の原因を脳出血と見るよりもむしろ化膿性髄膜炎、またはこれに随伴する脳実質の病変の再燃とみられるとしているのであつて、結局本件訴訟にあらわれた証拠によつては、その原因が脳出血によるものか、もしくは化膿性髄膜炎またはこれに随伴する脳実質の病変の再燃のいずれかによるものとは云えても、そのいずれによるかは判定しがたい」と判示している(原判決四丁表)。

二、しかしながら、第一審判決が前述の如く、あらゆる事情を総合的に判断して、原告の病変の原因は脳出血によるものと判示し、原判決が右第一審判決認定の事実を全て肯定して引用しながら、結果において第一審判決と異なる結論を示すのであればそのように結論を異にすべき根拠となる新たな証拠を指摘するか、同一の事実認定にも拘らず、その評価を異にする根拠が明確に示されるべきである。以下この点について検討する。

(一) まず、原判決は事実の認定の根拠となる証拠として、第一審判決が「成立に争いのない甲第一号証の一、二、同第二号証の一、二、同第三号証、同第一七号証、証人時田源一、同福田保俊の各証言により真正に成立したものと認める乙第一号証、成立に争いのない同第五号証から第七号証、証人時田源一(第一回、第二回)、同福田保俊(第一回乃至第四回)、高津忠夫、同山岸由紀子、同大木ヒサ、同高橋徳子、同福山幸夫の各証言、原告法定代理人親権者三浦亮一(第一回から第三回)、同三浦玉恵(第一回、第二回)の各本人の供述、鑑定人糸賀宣三、同長谷川和夫、同市橋保雄の各鑑定の結果」を摘示しているのに対して、「証人時田源一(第二回)、同福田保俊(第一回)」と訂正するほか、「当審証人高橋徳子、同福田保俊」を追加している(第一審判決二三丁表、原判決三丁表)。

右原判決における訂正中、前者は乙第一号証の成立に関するものであるから本旨には関係がない。後者の追加については、当審における証人高橋徳子、同福田保俊、上告人代理人三浦玉恵の供述のうち前二者のみを採用したものであるが、その点はさておくとしても、少なくとも右の追加された高橋、福田の供述には、第一審判決の事実認定および判決を変更するに足る根拠は何ら見出されない。原判決が第一審判決の認定事実を、一字一句変更せずに引用したのも、そのためであると解される。

(二) 原判決は、前記の本件病変の原因を判断するに際して、その前提として脳波所見に言及し、「以上のような脳波所見を示す疾患として、小児の場合は癩癇(殊に局在性痙攣)、先天性脳疾患、分娩時脳損傷、脳性小児麻痺、脳炎後遺症、脳髄膜炎後遺症、頭部外症後遺症およびその他の脳内器質性疾患が考えられる。東京大学付属病院における時田医師らによる控訴人の臨床知見、すなわち脳波検査前の診断は、髄膜双球性髄膜炎および合併症としての脳出血とされ、脳波検査後の診断は、右片麻痺および精神薄弱を伴う局在性痙攣とされていることを参考にして、前記脳波所見を改めて解読すると、臨床症状である右片麻痺と局在性痙攣をうらづけるものは、左側の限局性棘波であり、二回目以降の脳波所見からは、髄膜炎後遺症による脳波像と考えられる。この脳波所見からは、合併症としての脳出血の有無は判断できない。」としている(原判決三丁裏)。

右判決は、第一審における鑑定人長谷川和夫の昭和三九年八月一七日付鑑定書の末尾(三)の部分を、殆んどそのまま引用したものである。しかしながら、同鑑定書も述べているように、「脳波所見には、疾患に特異的な所見はなく、脳波所見のみによつて病因即ち疾患の原因が何であるかを診断することは、特権の場合を除いて困難であるということである。

ただ「A」という脳波所見は経験的にいつて何パーセントの確率で「B」という疾患に最も関連性が多いということがいえるにすぎないのである。被険者の臨床像やレントゲン所見、背髄液所見等の他の臨床検査所見を参考にして、総合的に脳波所見の診断上の意義を考察しなければならない。」(同鑑定書四丁表)。

したがつて、本件脳波所見は、「脳機能不全と、左側前頭及び側頭を中心とする何らかの病変を想定せしめるものである。即ち、鑑定対象である脳波所見によれば、病巣部乃至は異常部位は、脳実質の左部にあると判断される。」にすぎない(同鑑定書七丁裏)。

「二回目以降の脳波所見は、髄膜炎後遺症による脳波像と考えられる」のは、単に「第一回の脳波記録前に髄膜炎の経過をもつていると考えられる」ことからの推測であり、「合併症としての脳出血の有無は判断できない」のは、この脳波所見からは判断できないのであつて、脳出血の存在を否定したわけではない。

翻えつて、他の鑑定人の鑑定の結果によれば、鑑定人の国分義行は、本件症状について「脳出血が一番考えられる」と述べている(昭和三九年一〇月一〇日同人鑑定書六丁表)。

また、鑑定人市橋保雄の昭和四三年二月一日鑑定書にも「現在の後遺症を広義の化膿性髄膜炎によるものと考えうるし、又脳出血の後遺症とも考えられる」との記載がある(同鑑定書第六項)。

したがつて、鑑定人長谷川和夫の鑑定書において述べられているように、「被検者の臨床像やレントゲン所見、背髄液所見等の他の臨床検査所見を参考にして総合的に」判断しなければ正しい結論には到達し得ない筈である。

この点につき、前に摘示したように原判決は、「東京大学付属病院における時田医師らによる控訴人の臨床知見、すなわち脳波検査前の診断は、髄膜双球菌性髄膜炎および合併病としての脳出血とされ、脳波検査後の診断は、右片麻痺および精神薄弱を伴う局在性痙攣とされていることを参考にして前記脳波所見を改めて解読する」という(三丁裏)。

しかし、被上告人が本件症状につき、化膿性髄膜炎の再燃であると主張したのは、本訴が提起されて後、昭和三三年一〇月三〇日付答弁書におけるものが最初である。それまでは、上告人法定代理人に対しては終始一貫「脳出血」との説明がなされていたにすぎない。したがつて、脳波検査の前後において診断を異にしたという事実そのものが極めて疑わしい。またかりに、脳波検査の前後において診断を異にするに至つたとしても、その時期はきわめて不明確である。

このことは、すでに第一審における上告人準備書面(昭和四〇年四月二八日付)において明らかにしたところであるが(一二丁以下)、念のために再説すると、つぎのとおりである。

(1) 乙第一号証(カルテ)の所見(冒頭の退院時所見)によれば、昭和三〇年一一月二日の上告人の退院時の症状に関して、医師時田源一による「腰椎穿刺を施行した結果急激に泣き叫びその中に脳圧がこう進して脳出血を生じたものと考えられる。」との記載がある。

(2) 医師福田保俊が、昭和三三年六月一九日および同年七月二六日に上告人法定代理人三浦亮一の依頼により作成した病歴説明書(甲第一号証の一乃至二)には、病名を「化膿性髄膜炎兼脳出血」と記載してあるほか、本件発生後の処置につき、「その間の処置は、前述の外に強心剤、止血剤等を対症的処置として行なつた。

止血剤使用は、今回の急激発作が腰椎穿刺後二時間半以上の経過をおいて発現した処から、直接的でなくても矢張り間接的には腰椎穿刺による刺戟によつて惹起した脳出血と考えたためである。」との記載がある。これは、本件訴が提起される約一ケ月前に作成された書面である。

(3) 東大病院が本件症状につき、脳出血との診断を髄膜炎の再燃と変更した時期については、証人の供述は著るしくくいちがつている。当時の主任教授高津忠夫の供述によれば、退院後脳波の検査をして大体確信に近い診断をしたと述べている。そして、上告人の退院は昭和三〇年一一月二日、その後の脳波検査は昭和三二年五月二〇日、同年七月二七日、三三年三月一七日であるから、右高津忠夫の述べる時期は、早くとも昭和三二年五月二〇日以降ということになる。また時田源一証人の供述によれば、昭和三一年一二月一日高津教授が上告人を診察したときに結論に達したというのであるが、「その時認められた症状やそれから脳波の所見」によるというのであるから、退院後の第一回の脳波検査が昭和三二年五月二〇日であることからすれば(乙第二号証の二乃至三の日付が誤であることは、証人福山幸夫の供述から明らかである)、時田証人のいう日時は、昭和三二年一二月一日ということになる。

以上の事実からすれば、脳波検査の前後によつて診断の結果を異にしたということじたいがきわめて疑わしいのであるが、かりにそれを肯定するとしても、それは単に東大病院が上告人の症状につき、相当の年月を経過した後に見解を改めたというにすぎず、そのことを「参考にして」脳波所見を「改めて解読」してみたところで、「脳出血の有無は判断できない」との結論に到達するはずはない。

(三) 原判決は、前項において摘示したように判示した後に、「結局、本件訴訟にあらわれた証拠によつては、その原因が脳出血によるものか、若しくは化膿性髄膜炎、またはこれに随伴する脳実質の病変のいずれかによるものとはいえても、そのいずれによるかは判定しがたい」としているのであるが、その前提となる脳波の解釈において判断を誤つていることが前述のとおりであるばかりでなく、第一審判決と全く同様の事実を認定していながら(趣旨において同一というのではなく、第一審判決の認定事実をそのまま引用しているのである)、本件の病変の原因が脳出血であると判断した第一審判決と異なる結論を導き出したことについて、何ら明確な理由を付していないのであつて、この点だけでも経験則に違背し、理由不備の違法を免れない。まして、原判決じたいが第一審判決の認定した事実にてらせば、「本件発作とその後の控訴人の病変の原因が、脳出血であることを肯定するについての有力な資料となりうるもの」であることを認めているのであるから(原判決四丁表)、第一審判決との結論の差異を別にしても、この「有力な資料」を否定するだけの理由を付すべきものであつて、その理由を明らかにしないかぎり、理由不備の違法は免れない。

たしかに、原判決も若干の説明は付している。しかし、第一に「本件発作当時ケルニツヒ症候が陽性であり、熱も平熱とはいえず、髄液の所見も正常域には達しておらず、絶対安静が指示されていたこと」が脳出血を否定する根拠たり得ないことは、すでに第一審判決が詳細に説示しているところである。即ち、同判決は、「入院以後本件発作当時までの原告(上告人)の病状の変化をみれば、かなり急速に、しかも一貫して順調に快方に向つていることが認められ、また右鑑定の結果によつても、一般的に再燃の可能性を否定はしえないとしながらも、極めて少なく通常は予想されないことなどが認められ、本件発作の前後を通じて他に特別に再燃が予想されるような事実も認められない以上、単に九月一七日頃の原告の病状が中等症程度の回復状態にとどまつていたことと、一般に化膿性髄膜炎が再燃の可能性がある病気であることを理由に、本件発作が治療経過中に偶然に起つた化膿性髄膜炎に随伴する脳実質の病変の再燃にすぎない(この主張じたいが、化膿性髄膜炎そのものの再燃であるとの主張を後にいたつて変更したものである)とする被告(被上告人)の主張はにわかに採用しえない」と説示している(第一審判決三九丁裏)。

したがつて、原判決は一般的には再燃の可能性がきわめて少なく、通常は予想されない化膿性髄膜炎の再燃を、何ら特段の事情を摘示することもなく、前示の中等度の症候に言及したのみで、その可能性ありとして、結果において「その原因が脳出血によるか、もしくは化膿性髄膜炎、またはこれに随伴する脳実質の再燃のいずれによるものとは云えてもそのいずれによるかは判定し難い」としたものであつて、理由不備の違法は免れない。

第二に、原判決は、「退院後も後遺症として知能障害、性格障害があること」を挙げている(原判決四丁裏)。

しかしながら、この点についても第一審判決は、「一般に脳出血の場合は、右のような障害をともなうことは少ないと認められ、これは被告の主張に一つの根拠を与えるものであるが、鑑定人市橋保雄の鑑定の結果によれば、脳出血でも通常の場合のように、一定部位のみに出血を起こしたものではなく、本件の場合は感染症の経過中に多くみられる脳白質全般の小出血、小血栓等に基くものであると考えられ、とすれば右の知能障害、性格障害をともなつたことも、さらには先に認定した脳波所見中の全般的律動不全が左部の限局性異常波とともに認められることも、右のように脳出血と認定することと何ら矛盾するものではない。」と説示している(第一審判決三九丁裏乃至四〇丁裏)。

もつとも、原判決は、脳出血であることを否定しているのではなく、「脳出血によるか、若しくは化膿性髄膜炎またはこれに随伴する脳実質の病変の再燃のいずれかによるものとはいえても、そのいずれによるかは判定しがたい」といつているのであるというかもしれない。しかし、すでに述べたように、脳出血であると推定することについての極めて有力な証拠が存在する以上、「いずれによるかは判定しがたい」というためには、少なくとも同等程度の反対の証拠を必要とする。さもないかぎり、医療過誤訴訟においては医師の主張する可能性のすべてについて「いずれによるかは判定しがたい。」との結論につねに到達することになり、医療過誤の原因の確定は全く不可能に陥いらざるを得ない。

つぎに原判決は、「原審証人福山幸夫の証言、原審における鑑定人糸賀宣三、同長谷川和夫、同市橋保雄の各鑑定の結果は、いずれも本件発作と病変の原因を脳出血と見るよりも、寧ろ化膿性髄膜炎またはこれに随伴する脳実質の病変の再燃とみられるとしている」と述べている。

しかし、これは明らかに不当な論断である。

まず、細山幸夫の供述であるが、同人は機能障害が広汎に脳の全体にわたつており、癲癇性の変化があらわれていると述べており、これは本件発作及び病変の原因についての診断を脳出血から化膿性髄膜炎の再燃と変更したことについての証人時田源一の「退院した時の病状とは別に性格の障害、特有な引つけの発作、それから知能障害、そういつたような点、それから脳波でほとんど左右、右側の半身不随だけでしたならば、知能障害とか性格障害は普通起しませんですが、脳出血の場合だと、知能障害や性格障害までは起すことはないのが原則ですが、そういう点起してくること、それから脳波で脳全体に異常な棘波といいまして、けいれんを起しやすいような時にみえるそういう波が出てきたということ」との供述、及び証人高津忠夫の「全誘導に棘波というのが出ておりまして、これは脳全体がやられている徴候でございまして、全誘導と申しますと、脳の全てのところから電極をつけまして脳全体からの電気を図に記録するわけでございます。それに全部同じような変化が出るというのは、脳全体が侵されると解釈されるわけでございまして、脳出血の場合はそのようなことはありません。丁度今申しましたことは、髄膜炎、脳炎のあとにそういうふうな症状が残りまして微菌が結局脳全体に広がつてあとに残つた。したがつて、私は現在の診断名は髄膜炎の後遺症という診断を学問的につけておきます。」との供述に照応するものである。しかし、鑑定人中脳波の専門家である長谷川和夫の鑑定書によれば、甲第三号証の脳波記録からは、全般的な律動不全と左前頭及び側頭部の限局性異常波がみられ、「これら脳波所見は脳機能不全と、左側前頭及び側頭を中心とする何らかの病変を想定せしめるものである。即ち、鑑定対象である脳波所見によれば、病巣部乃至は異常部位は脳実質の左部にあると判断される。」というのである。したがつて、前記諸見解の前提となるところの「脳全体の異常な棘波」の存在が否定されている以上、右諸見解を推論の根拠とすることはできない。

以上のことは、鑑定人糸賀宣三の鑑定についても同様である。即ち、同人はその鑑定書の結論にあたる要約部分において、「昭和三〇年九月一七日の腰椎穿刺後間もなく発生した急激な病勢の変化の原因として化膿性髄膜炎の再燃と考えるのが最も可能性が高い。」と述べている。

しかし、同人自らの供述(昭和三六年九月一五日)によれば同人の鑑定はその根拠を殆んど脳波所見に求めており、しかも同人は脳波の専門家ではなく、他の専門家の見解によつて、本件脳波記録を大脳皮質全般にわたる機能障害と解読し、左側頭部の散発性焦点を偽焦点と解し、これを前提として右鑑定意見を述べているのである。したがつて、長谷川和夫鑑定人の鑑定によつてその前提が否定された以上、鑑定人糸賀宣三の右見解もその根拠を失なつたと解すべきである。

市橋保雄の鑑定書については、原判決はその引用を誤つている。なるほど同鑑定書中には、「本件発作は広義の化膿性髄膜炎の再燃によるとも考えることができる。」との記載がある。しかし、その後に同鑑定書は「脳出血によるとの考え方も、本患児は病初より皮下出血が見られ、出血性傾向があつたと思われること、発作が突然起つたものであること等からも、一応その可能性は考えられる。」と述べ、さらに「以上述べ来つた理由から現在の後遺症を広義の化膿性髄膜炎によるものと考えうるし、又脳出血の後遺症とも考えられる。」と述べている(同鑑定書回答第六項)。

このような内容の鑑定書の趣旨を「本件発作と病変の原因を脳出血と見るよりも寧ろ化膿性髄膜炎またはこれに随伴する脳実質の病変の再燃とみられるとしている。」として要約引用することは、故意に証拠の内容を歪曲し、予断をもつて恣意的に引用したものにほかならず、採証の法則に反するものである。

さらに、原判決がことさらに引用から除外している国分義行鑑定人の鑑定書においては、本件の病変の原因について、明瞭に「脳出血が一番考えられる。」としている。

以上の検討から明らかなように、第一審証人福山幸夫の証言、同審における鑑定糸賀宣三、同長谷川和夫、同市橋保雄の各鑑定の結果について、原判決の摘示するところによつては本件上告人の病変の原因を脳出血と認めるのが相当であるとの第一審判決の結論を覆すことはできず、第一審判決の事実認定をそのまま肯定し引用した原判決が、何ら合理的な理由を示すことなくこれに反する判断をしたことは、明らかに理由齟齬、理由不備のそしりを免れない。

三、以上の次第であるから、原判決本件病変の原因につき、「脳出血によるか、若しくは化膿性髄膜炎またはこれに随伴する脳実質の病変の再燃のいずれかによるものとは云えても、そのいずれによるかは判定し難い。」と判示したのは、採証の法則を誤り、経験則に違背して理由不備の違法があり、この違法は後に述べるように、本件腰椎穿刺と本件発作との因果関係の有無、ひいては被上告人の過失による損害賠償責任の存否の判断に関し、判決に影響を及ぼすこと明らかな法令の違背(民事訴訟法三九四条、三九五条六号)であるから、」原判決は破棄さるべきものである。

第二点 原判決は、上告人の急激に悪化した病因を脳出血と認定した第一審判決を覆えし、脳出血によるか、若しくは化膿性髄膜炎またはこれに随伴する脳実質の病変の再燃のいずれかによるものとは云えても、そのいずれによるかは判定し難くと判示した。

これは、被上告人の自白に反するもので、法令に違背するか又は採証法則に違反する。

一、即ち、上告人は昭和三三年九月、訴を提起したが被上告人は訴の直前まで訴訟外において上告人の病因を脳出血と説明していたのに(甲第一、第二号証の福田書翰参照)、突然従来の患者側に対する説明を翻えして、同年一〇月三〇日の答弁書において脳出血にあらずして、脳栓塞による化脳性髄膜炎の再燃と主張するに至つた。そして、脳出血でなく再燃の理由として、被上告人は昭和三四年五月二七日の証拠説明書において左の通り陳べている。

「脳出血の場合には、脳波上の一側の脳にのみ異常が現われ、且つそれが後に至るまで持続するに拘らず、原告(上告人)の場合においては、乙第二号証の二、三について説明するように後に至つて左右差が消滅しているので、結局九月一七日のけいれん発作は、脳栓塞によるものとみるのが正当である。

脳栓塞の場合には、脳波上においては脳栓塞が起つた直後より暫時の間は脳出血と同様一側の脳(即ち栓塞の起つた側の脳)にのみ異常が現われるが、脳出血の場合の如く後に至るまでこの異常が持続しないで、結局は左右両側の脳の示す脳波に差異がなくなるのが普通である。)

被上告人の主張によると、脳栓塞ならば左右異常差は消滅するが、脳出血においては後日になつても左右差が消滅しないで持続する。ところで、上告人の脳波検査によると、事件の九月一七日後の脳波所見(乙二号証―二、三)は、左右差が消滅している。したがつて、脳出血でなく脳栓塞であると云うものである。右証拠説明によると、上告人の脳波検査で左右差が消えずに残つているならば、上告人の病変の原因が脳栓塞でなく、反つて脳出血であることを被上告人も自認、自白したことになるのである。

二、上告人の病変が脳出血かそれとも化膿性髄膜炎かについては、第一審においても争点になつたものであり、第一審判決は、これを脳出血と認定した。そして、右脳出血と認定した理由根拠につき六点をあげているが、その第五に「本件発作の際のけいれんが特に右半身に強く現われ、その後右半身不全麻痺が起つたこと、脳波所見によつても、脳の異常部位が脳実質の左部にあると判断されること(脳実質左部に病巣がある場合、右半身に異常があらわれる。)」と脳波所見の結果をその認定の理由としているのである。

換言すれば、右引用した第一審判決の判示部分は、脳波所見によつて上告人の脳波に左右異常差が生じていること(左部に異常波があること)を認定しているのである。鑑定人長谷川和夫の鑑定書(上告人の所持する甲第三号証を資料とするもの)によると、

(1) 昭和三二年五月二〇日の脳波所見は、「全般的に不規則な余波を主とする律動不全が記録されているが、殊に左側前部及び側頭部には著明な棘波が散発する。」

(2) 昭和三二年七月二八日の脳波所見は、「五月二〇日と同様の全般的律動不全がみられ、瀰浸性に棘波が出現している。時に高振巾の棘徐波結合が全領野に律動性に出現する。また左側頭部を中心に棘波が限局性に記録された。」

(3) 昭和三三年三月一七日の脳波所見は、「全般性律動不全の他に左前頭及び側頭部に棘波を伴う不規則徐波が出現している。この異常波の限局性は前掲の二つと比較すると最も著明である。即ちこの記録では前頭側頭及び後頭部の誘導においても左右差があり、右側より左側において棘波の発現がより著名であり、徐波についてもよりおそい周波数をもつものが記録されている。)

とあつて、病変後一年八ケ月から二年六ケ月を経過した期間に検査した三回の脳波所見(東大病院においては上記三同の検査と発作翌日の検査の四回だけである)は、いずれも左右差があることを明らかにしている。脳波所見は前掲長谷川鑑定のほか、糸賀鑑定書も触れてあるが、糸賀鑑定人は脳波を専門に研修する者でなく、脳波所見部分は他の意見をきき記載した程であるから、信用力も劣ると思われる上に、「Random spikeが稍々左前頭部に多発している。然し脳出血・蜘蛛膜下の癒着等による焦点性障碍とは判定できない。」(昭和三二年五月二〇日)、「左側頭部の散発性焦点性spikeも電気的伝播過程において生じた偽焦点とも解釈出来る。」(昭和三二年七月二八日)などの記載からも窺えるように、左側の異常、局在性については殊更に「断定できない」とか「偽焦点」とか述べて異常差をはぐらかしている、しかし、かかる消極的解釈をとるにしても、検査自体は左右差が厳然として存在してそれを否定できないことが看取できるのである。

さらに糸賀鑑定によると、「従来の経験によれば、又大脳の解剖生理の知識から脳出血の場合、出血が起つた脈管が支配している大脳領域に局在して大脳機能低下が起る可能性が大きい。これに反し化膿性髄膜炎の場合、脳膜全般に炎症を生じ、その脳膜の炎症が脳膜下層の脳実質に波及し、大脳に機能障碍を生ずるのであるから、機能障碍の範囲が広範に渉り局在性が少い傾向となる。」とし、上告人の病因につき、脳波所見は有力な参考となる旨述べている。

右糸賀鑑定意見は、前記の被上告人の脳波に関する証拠説明と大むね、一致するものと考えられるところであり、左右差がなければ、脳栓塞による化膿性髄膜炎の再燃、左右差が持続すれば脳出血と判断されるのである。

そして、糸賀鑑定は意識的とも思えるほど局在性を認めない立場で脳波所見を出したのである。ところが、前提のように長谷川鑑定は、「一番最後の昭和三三年三月一七日の脳波所見に左側前頭及び側頭部における限局性出現が書も著明である。」と鑑定する。このことは、昭和三〇年九月一七日から二年六ケ月後の上告人の脳波検査によると、左側に局在性が著明に現われていることを示し、被上告人の証拠説明によつても、また糸賀鑑定の論旨からみても、脳出血であることを明示することとなるである。したがつて、第一審判決が、被上告人の証拠説明による先行的自認自白に基き、脳波所見を参酌して脳出血としたのは、これまた当然の帰結なのである。

三、ところが、原判決は上告人の脳波所見が、被上告人の主張するように、左右差がないことを認める証拠も存在せず、また被上告人も右証拠説明を裏づける立証もしないのに、第一審の脳出血の認定を否定したことは、被上告人の自認、自白によつて事実認定をせず、それに基づかない独自の証拠取捨により、事実を認定したものであつて、明らかに法令に違反する。

四、被上告人の東大病院は、我国の医学の最高水準を行く大病院であると云われており、右病院関係者の結集した意見により前記証拠説明書は作成主張されたとみられる。したがつて、被上告人は右証拠説明によつて、上告人の脳波に左右差が消滅している事実を積極的に立証しない限り、またその立証が出来なければ、その不利益を受けるべきであり、それを認識した上で前記の証拠説明をしたものと理解される。

上告人は、原審において被上告人が前記脳波検査の所見につき、第一審と異なるあらたな立証をなさない限り、第一審判決の脳出血の認定が覆えられないものと思料し、その前提に基き過失に争点を置いたのである。

ところが、上告人の予期に反し、全く不意打ちとも云うべき病因の変更の認定は、先行自白を無視し、又採証法則にも著るしく違反するものである。

第三点 原判決は、「本件発作及び右病変の原因が本件ルンバールの施行にあることを断定しがたい。」と判示しているが(原判決五丁裏)、右判示は経験則に違背し、理由齟齬、理由不備の違法があり、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違背であつて、破棄されるべきものである(民事訴訟法三九四条、三九五条六号)。

一、第一審判決は、「本件発作およびその原因たる脳出血が、九月一七日に福田医師が行つた本件ルンバールのショックによつて生じたものであるかについて考えるに、右に認定したように原告の病状が快方に向いつつあつたところ、福田医師による原告に対する本件ルンバールの施行後、わずかに一五分から二〇分位の後に本件発作が起つた(ルンバール施行後一五分乃至二〇分後に始まつた原告の嘔吐が本件発作の前駆的症状であることは、前記認定の右嘔吐後の原告の病変の経過ならびに証人時田源一(第一回)の証言により認められる。この点について、証人福田保俊(第一回)の証言も未だ右認定を覆えすものではない。)経緯に照らすと、他に本件発作の原因となるべき特段の事情が認められない限り、右ルンバールにより本件発作及び脳出血が生じたものと推定するのが妥当である。」と判示している(第一審判決四一丁)。

しかるに、原判決は事実の経過についての第一審判決の認定をすべてそのまま引用しているにも拘らず、上告理由第一点において述べたような独自の判断に基づいて、「本件発作及びその原因たる脳出血」との第一審判決の判示を「脳出血または化膿性髄膜炎若しくはこれに随伴する脳実質の病変の再燃」と訂正した上で、第一審判決の前記判示をそのまま引用しつつ、結論の部分においてのみ、「……特段の事情が認められない限り、本件発作及びその原因たる脳出血または化膿性髄膜炎もしくはこれに随伴する脳実質の病変の再燃は、本件ルンバールの実施(それ自体もしくはこれに伴う物理的、化学的な刺戟)により生じたものではないかとの疑を強くさせるのであるが、原審証人糸賀宣三の証言、原審鑑定人糸賀宣三、同市橋保雄、同国分義行の各鑑定の結果に照すと、そのように断定してしまうについては、なお躊躇せざるをえず、その他控訴人の前記認定の病状及び治療の推移、経過を検討し、本件のその他の各証拠によるも本件発作および右病変の原因が、本件ルンバールの施行にあることを断定しがたい。」と判示している(原判決五丁表)。

二、原判決の右判示は、本件発作および病変につき、その原因が脳出血または化膿性髄膜炎もしくはこれに随伴する脳実質の病変の再燃のいずれであるか判定しがたいことを前提としているものであるが、その前提自体が誤りであることは、上告理由第一点において詳述したところであり、したがつて、誤れる前提の下での右原判決の判断もまた誤りであることは明らかである。

三、仮りに、原判決の判示するように、本件発作及び病変が、「脳出血または化膿性髄膜炎もしくはこれに随伴する脳実質の病変の再燃のいずれであるか判定しがたい。」としても、「本件発作及び右病変の原因が、本件ルンバールの施行にあることを断定しがたい。」との原判決の判断は、以下に述べるように、経験則に違背する不当な判断であり、理由不備の違法を免れない。

(一) 第一審判決判示の如く、原告の病状が快方に向いつつあつたところ、福田医師による原告に対するルンバール施行の後、わずかに一五分から二〇分位の後に本件発作が起つた経緯に照すと、他の発作の原因となるべき特段の事情が認められない限り、右ルンバールにより本件発作及び脳出血(または化膿性髄膜炎もしくはこれに随伴する脳実質の病変の再燃)が生じたものと推定するのが妥当である。」ことは、原判決も肯定するところである。

したがつて、右推定を覆すためには、これを否定するに足る「他に発作の原因となるべき特段の事情」が合理的な証拠によつて認定されなければならない。この点につき、原判決は、まず原審証人糸賀宣三の証言及び原審鑑定人糸賀宣三、同市橋保雄、同国分義行の鑑定の結果を挙げている。

しかしながら、糸賀宣三の鑑定書は、第五項において、「昭和三〇年九月一七日に行なわれた腰椎穿刺が直接或は間接に関係しなかつたとは断定できない。特に時間的な関連性からその可能性は考えられるところである。然しながら、同腰椎穿刺で脳出血を起させたという医学的根拠は全たく得られない。」と述べており、さらに同人は証人として右の趣旨につき、「腰椎穿刺をやつてからそういう症状が出てきたので、それとの関連性はあるのではないかということは否定できない。しかし、その理由については、仮説的な説明はできるが医学的に明確な説明はできない。」と説明して(昭和三六年九月一五日供述)、かえつて右推定を裏付けているのである。また同鑑定書は、化膿性髄膜炎の再燃についても、「僅かな物理、化学的刺戟が誘因となり得る可能性は充分考えられる。」としている。

さらに同人は、証言中において「非常に興奮するとか泣き叫んで血圧が昂進する場合に脳の血管が弱つていると脳出血を起す可能性があり、化膿性髄膜炎の病状中の人間の血管は常人より弱いものである。」とも述べている。

つぎに、鑑定人国分義行の鑑定書は、本件病変の原因を「脳出血が一番考えられる」としつつも、「腰椎穿刺と脳出血は直接の関係はないと判定する。」としている。

しかしながら、その理由としては、化膿性髄膜炎の合併症として脳出血がしばしばみられるというだけのことであり、前判示のように、ルンバール施行と発作病変との間に因果関係が存在することが強く推定し得る状態の下で、この推定を覆すに足る特段の事情についての合理的根拠は何ら示されていない。

鑑定人市橋保雄の鑑定書中には、「ルンバールによる脳内出血の可能性は極めて少いものと考えられる。」旨の記載がある。しかし、その理由としては、「一般的にはルンバールを治療、診断等のため行うのは当然の処置であつて、脳出血が起こるということは先づ考えないのが通例である。」との一般論が述べられているにすぎず、原判決が引用する第一審判決認定の事実の経過、とくにルンバール実施後わずか一五分から二〇分位の後に本件発作が起つた事情は全たく考慮されていない。のみならず、同鑑定書によつても、「本件の場合、この出血性脳症そのものとも考えられるし、又経過中に紫斑の認められた所から出血性素因があつたと思われるから、丁度ルンバールを行つた時、これによつて出血性傾向を増す何らかの要因が加わつたかも知れない。」とされているのである。

以上、いずれの点からしても、第一審証人糸賀宣三の証言、同審鑑定人糸賀宣三、同市橋保雄、同国分義行の鑑定の結果からは、第一審判決の推定を覆すに足る特段の事情(原判決についても同様)を認めるべき合理的根拠は見出されない。

(二) つぎに原判決は、「その他控訴人の前記認定の病状および治療の推移、経過」ならびにその他の各証拠に言及している。

しかしながら、控訴人の前記認定の病状および治療の推移については、上告理由第一点において述べたように、特段の事情のない限り、つまり本件腰椎穿刺の施行のような異常な事態を生じないかぎり、脳出血または化膿性髄膜炎もしくはこれに随伴する脳実質の病変の再燃を生じないようなものであつたのであり、この点は第一審判決が判示し、また原判決も原則的に肯定しているところである。それにも拘らず、何らの明確な理由を付せず、「病状および治療の推移、経過を検討し、」「その他の証拠によるも」と述べたのみで前記推定を覆すことは、予断に基づくか経験則に違背する判断であつて理由不備の違法を免れない。この点につき、念のために再説すればつぎりとおりである。

(1) 原判決が言及している「病状および治療の経過」とは、「本件発作当時ケルニッヒ症候が陽性であり、熱も平熱とはいえず、髄液の所見も平常域には達しておらず、絶対安静が指示されていたこと」(原判決四丁表)を指すものと解されるのであるが、この点については、さきに指摘したように第一審判決がすでに、「本件発作当時ケルニッヒ症状は陽性であり、その他髄膜炎症状の重要な徴表もいくつか残つており、髄液所見も正常域にはいつているとはいえないなど被告の主張にそう事実が認められ、また鑑定人市橋保雄の鑑定の結果によれば、本件発作当時の原告の症状の程度は未だ中等症程度であつたことが認められ、またその段階で化膿性髄膜炎が再燃する可能性についても、一般的にいえば抗生物質療法が行なわれたことにより、原因菌が耐性を帯びてくる場合とか、間歇性経過をとり再燃することを想像されるのであるが、しかし先に認定したように入院以後本件発作当時までの原告の病状の変更をみれば、かなり急速に、しかも一貫して順調に快方に向つていることが認められ、また右鑑定の結果によつても一般的に再燃の可能性を否定はしえないとしながらも、極めて少なく通常は予想されない」(第一審判決三九丁)と説示しているところである。

(2) 昭和三〇年九月一七日に行われた腰椎穿刺とこれにつづく原告の病状の変化とは、それが時間的に密接に結びついていることによつて、両者の間に因果関係があるものと推定するのが至当であり、このことは鑑定人糸賀宣三の鑑定の結果にも示されている。ことに、右腰椎穿刺の実施が上告人の食事直後に、医師福田保俊が学会出度のために気がせいているという不安定な精神的状態の下において、上告人が穿刺を嫌つて異常に泣き叫ぶのを、通常よりも不十分な介助の状態で無理に押えつけて行ない、かつ数回穿刺に失敗するという異常な状態を生じて上告人の血圧を昂進させたこと、同人が病中であつて常人よりも血管が脆かつたことなどの事情によつて、右推定は一層強度なものとなるのである。

四、右の如く、第一審判決及びこれを引用した原判決の事実からは、本件発作および病変が福田医師の実施したルンバールにより生じたものであることが極めて高度に推定されるにも拘らず、何ら明確かつ合理的な根拠を示すことなく、右推定を否定した原判決判示は、理由不備の違法を免れず、かつ右違法は判決に影響を及ぼすことが明らかな法令違背に該当する。

第四点 原判決には、釈明権行使を怠つた違法があり、かつ右違法令は判決に影響を及ぼすことが明らかな法令違背に該当する。

第一審判決は、本件発作ならびに病変の原因を脳出血であると判断し、かつそれが昭和三〇年九月一七日、医師福田保俊の実施した腰椎穿刺によるものであると判示した。これに対して原判決は、右発作ならびに病変の原因が脳出血によるか化膿性髄膜炎またはこれに随伴する脳実質の病変の再燃によるものかのいずれであるかは判定し難いとした上で、右病変と腰椎穿刺との間の因果関係を否定したものである。

しかしながら、原審において控訴理由はもつぱら、第一審判決の判示に基づき被上告人の過失責任の存在を主張し、証拠調もまたこの点にのみ集中したのであつて、右因果関係については、裁判所からは何らの釈明も行なわれていない。

もちろん、民事訴訟においては、控訴審は第一審の続審であり、控訴審の判断は一審、控訴審を通じての主張ならびに証拠をすべて総合してなされるものであるから、控訴審においてとくに主張ならびに立証がなされなくとも、一審における主張ならびに立証に基づいて一審と異なる判断をすることじたいは、違法ではない。しかしながら、釈明権の行使は、裁判所の機能であるとともに義務であり、当事者の弁論を尽させて完全な裁判を行なうための不可決の措置である。ことに本件のように、第一審判決の事実認定を殆んどそのまま肯定し引用した上で、しかも第一審判決の判断を覆えすような場合には、裁判所としては当然にその疑点を明示して、当事者にその点についての主張、立証を尽させるべきである。しかるにも拘らず、その挙に出ずして、忽然として第一審判決を覆した原判決には、釈明権不行使の違法があり、右違法は上告人に十分な弁論を尽させず、ひいて判決に影響を及ぼすことが明らかな法令違背があつたものである。

第五点 原判決は、昭和三〇年九月一七日に上告人に生じた発作および病変の原因が、「福田医師の施行した本件ルンバールによることが確定しえない以上は、同医師もしくは時田医師の右ルンバール施行上の過失の有無については、これを判断する要がない。」と判示しているが(原判決五丁裏)右判断には、判断を脱漏し、もしくは理由不備の違法がある。

第一点および第三点において述べたように、本件上告人に生じた発作および病変が、福田医師の施行したルンバールによるものであることは明らかである。したがつて、これと異なる前提の下に、ルンバール施行上の過失の有無について判断の要のないとした原判決は、判断を脱漏し、理由不備であつて判決に影響を及ぼすることが明らかな法令違背があるものである。

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